サンドウィッチマンの「病院ラジオ」
8月7日(水)にNHKで放送された、サンドウィッチマンの「病院ラジオ」。
病院にラジオ局を開設し、サンドウィッチマンがDJとなり、
患者さんやご家族の話を聞いてリクエスト曲を流すというドキュメンタリー番組。
今回は築地の国立がん研究センター中央病院でした。
私もセカンドオピニオンで行きました。19階のカフェテリアからの眺め↑。
この番組のファンとして、がん患者として、使命感にかられて視聴しました。
今頃ですが感想を。
登場した患者さんたちは、それぞれに大変な状況なんだけど、
それを淡々と、ユーモアを交えて話す人が多かった。
自分の病状を冷静に話せるのは凄いし、説明の仕方がスマート。
相手が困惑しないようにという気遣いさえあった。
そういう編集だったのかもしれないけど。
たぶんだけど、「悲しい話はもういい」って気持ちもある気がした。
自分の話でも、他人の話でも。
小学6年の患者さんは、お母さんに伝えたい事を話し始めて、
「なにを話したって、全部ありがとうになっちゃう」って…。
その子は「以前は注射も4人がかりだった」と笑っていた。
患部は目だという。もしかして直接するってことなのかな…。
凄く頑張っている…。
なんだか、医療にはもっと進歩の余地があるんじゃ?と、もどかしく思う。
番組の本筋からは外れるけど。
治療して⇒治す。
もちろん治すことが先決だけど。
「⇒」の部分の品質も、爆上げしてほしい。
技術や設備、医薬品、メンタル。まだまだ出来ることがあるんじゃないか。
我慢や根性ではなくて。
(医療関係者にケンカを売っているなあ…。)
番組全体は、淡々と品よくまとまっていたが、
「大した事ないように振る舞い、笑顔でこなすのが立派な人」
みたいな印象を残すかもしれないと、少し気になった。
対峙のしかたは様々でいいと思う。
(番組にもケンカを売っているなあ…。)
これは感想じゃなくて、患者として個人的に思っていることなんだけど。
あまり物わかりが良くなくてもいいし、
治せない人の言うことはテキトーに流してもいいし、
感謝を景品みたいに全員に配らなくてもいいんじゃないか、と。
(すみません、今回ケンカ腰で。)
サンドウィッチマンのお2人の視線の柔らかさが、番組を支えていた。
病院の差し迫った空気の中でも、ふわりとした温かさを出していく。
被災地支援を経験した2人だからこそなのかもしれない。
患者さんの話に、「そうか…」と2人がしばらく黙り込む場面があった。
そういう正直さにしか、救えないものもあると思う。
がんという病気が、ことほど難しく、人を選ばす、
哲学的であることに、今更ながら圧倒されている。
患者さんやご家族の頑張りが報われますように。