「ギフト」
はい。また、事件が起きまして。
今回、かなり長いです。1~4章まであります。
読むのも大変だと思いますし、
内容的にキツイなと思ったら、迷わず引き返して下さいね。
いつもの4回分に当たる文章量なので、
休み休み読んで下さい。
1:口腔外科にて
抗がん剤4回目の前日、私は夫とともに、口腔外科にいました。
前回の検査結果を聞くためです。
抗がん剤のスケジュールに合わせて、無理を言って前日にして頂いたのです。
そしたら先週に細胞を採取した結果が、どうやら乳がんの転移らしいと。
身体のがんが口内に転移するケースは本当に稀だということで、
実は私も夫も油断していました。
担当の先生がたまたま他の患者さんで経験があったので、
気になって検査したそうです。
この辺りで、自分の理性がパラパラ…と崩れていく感じ。
先生の話があまり聞こえなくなってくる。
「もう少し詳しい検査をして、乳腺科の主治医の先生とも相談するが、
治療としては放射線が中心になると思う。
主治医の先生にはお話してあるので、明日は予約の時間に行ってください」
そのあたりまでが限界で、ひとまず帰宅。
正直、夫がいなかったら、そのまま旅に出ていたかも。
もう何も考えたくなくて。
そりゃあ転移はあるだろうと思っていた。がんは体中に回っているわけだし。
それを抗がん剤で抑えているという話になってるが、
抑え込めてないんじゃ…
口の中の、見えるところに患部があるというダメージも大きい。
口腔ケアは結構頑張ってきたんだが。
それは「最後まで口から食べたい」という欲があるから。
帰宅後は近所から苦情が来る勢いで大泣きする。
夫は慰めてくれたし、そこまで悲観することはないと言う。
でも夫のがっかりした顔をみたくなかった。
その夜はビールやワインを飲んで布団をかぶって寝た。
2:次の日は乳腺科へ
翌日。主治医の先生の診察まで1時間半待ち。
私は昨日の疲れとショックでヘロヘロである。
1人だったらサボるところだが、今日も夫はスケジュールを開けてくれた。
待合室の3密を避ける関係で、私たちは外の廊下に並ぶイスに座った。
そこからだと小児科の待合が見えて、付けっぱなしの大型TVから「アンパンマン」や「機関車トーマス」などのアニメを眺められる。
このところ「ひつじのショーン」が多いと夫は言う。
「この前5話までは見たんだよ。ほらこれがオープニング。6話見たいなあ」
…見てたのかい
私にはそんな余裕なかったけどな!
夫のこの、切り替えの早さというか、あまり動じない感じ。
つくづくスゲーなと思う。
無理にそう装っているのかもしれないけど。
そうね。
出来るなら、今日もやってみましょうか、抗がん剤。
「日々、目の前にあるものに向き合っていく…」という内容の話を
NEWS増田さんもしてたしな…。
3:今回の点滴は
主治医の先生は口腔外科から連絡を受けて、
「正直、口の中への転移はあまり聞かないねえ…」と驚いた様子。
今後のことはもう少し検査をしてから、口腔外科と連携しつつ、抗がん剤を続けていくことになりそう。
主治医の先生は私のメンタル面を考慮して、
今日の点滴(抗がん剤)はキャンセルでいいと考えて下さったようだ。
確かに今これをやることが、どれほどの効果を示すかわからない。
しかし、考えるより先に、
「あ、でも数値的にOKなら点滴やります。今日は主人が来ていますし」
と言ってしまい、内心(うわー言っちゃった)となる。
先生は少し驚いた様子だったが、手続きをして下さった。
いったん待合室に戻り書類を待っていると、顔見知りの看護師さんが持ってきてくれた。
「今日は割としっかりしてるみたい?」
と彼女が言うので夫も私も笑ってしまう。
以前、私が不安定なのを見てメンタルケアを勧めてくれたりした人だ。
「昨夜は大変でしたよ。大暴れして」と夫がバラしてしまう。
「今日の点滴は難しいところだなと思ってた」と看護師さん。
「やらないより、やったほうがいいかな~と思って」と私が言うと、
「ありがとう、そんなふうに考えてくれて」と言われた。
ありがとう、の意味はわからなかった。
「2人、いい夫婦だよねえ」という看護師さんのエールを受け、
「行ってきます」と点滴へ向かった。
4:ギフト
私はもしかしたら、何か大きなギフトを受け取ったのではないか。
いや、今までも常に貰い続けて、支えられていたんじゃないか。
そんなことに今更気づく。
この数週間ほど、「生死観」を問うような報道が相次いだ。
若くて才能ある人の早すぎる死の衝撃。
そして「安楽死」に関して問題提起するように去っていった人。
私は自分が転移(再発)してからというもの、「死」について考えることが多かった。
あまりに考え過ぎたのか、いつからかそれを、
「やっかいな営業マンのような存在」だと思うようになった。
いらないと言っても諦めず、グイグイ来るタイプの。
その果てに、私個人が思い至ったのは、
「生」も「死」も、私の持ち物ではなさそうだということ。
いつ生まれていつ死ぬのかは、自分では決められない。
死ぬのは私にとって怖いことだ。
治療が深まるたびに私はそれをどうしても身近に感じる。
しかしその度に、なにかとても大切なことに気づく。
もう少しこの先を見てみたいと思わせる何かと出会う。
ややこしい事態になってしまったけど、
とりあえず今日生きているから。
生きているならば、自分なりの日常生活を送りたい。
まるで最終回ですが、まだ書きます。
いつも読んでくれてありがとう。
次はたぶん羊羹のことを書きます!